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京都 嵐山周辺



 京都は千年の間日本の都でした。世界の歴史の中でも長寿の都だった訳ですね。風水の専門家に言わせると、京都は東西と北を山に囲まれ、南は河川や湖沼に開けた最適の地相だそうです。地勢に恵まれただけでなく、千年の文化を継続し積み上げてきた文化都市でもあります。今回は東北に位置する嵐山周辺を散策しましょう。


常寂光寺の石段

渡月橋

 JR山陰線の嵯峨嵐山駅と京福電鉄の嵐山駅が便利です。天気がよければサイクリング自転車をレンタルして回るのがいいでしょう。天龍寺は嵐山駅のすぐ右手にあります。ここは、後醍醐天皇を弔うため建立されたお寺です。開山は、鎌倉時代、建武の新政、南北朝、室町時代を通じて平和をもたらそうとした夢窓国師でした。天龍寺船の貿易からあがる利益でこのお寺を作った訳です。夢窓国師の才能は作庭にも発揮され、写真の曹源池は嵐山を借景にした池泉回遊式庭園の傑作です。


天龍寺

曹源池

 天龍寺の表門を出てまっすぐ北に向うと、清涼寺の表門につきます。清涼寺の名前は、中国五台山の清涼寺にちなんで名づけられました。90年代に中国残留孤児を描いた「清涼寺の鐘」(栗原小巻主演)という映画がありましたが、舞台は中国の清涼寺でした。本堂の釈迦如来立像(国宝)は、開山が中国から持ち帰った仏像です。この境内の端に、能舞台がひっそりとたたずんでいます。謡曲「百万」の舞台が、ここ清涼寺なのです。子供と生き別れ、清涼寺で狂い舞う女が、子供に再会するお話です。


清涼寺

能舞台

 清涼寺から東に向うとすぐ大覚寺門前になり、ここから北に向うと大覚寺に着きます。 鎌倉時代になって、後嵯峨・亀山・後宇多法皇がここ大覚寺で院政をしいたことから嵯峨御所と呼ばれるようになり、この皇統が大覚寺統と称され南北朝の対立にまでつながります。大沢の池に龍船を浮かべて月を愛でる雅やかな観月の会は、今でも毎年九月の下旬に開催され多数の人々が昔の雰囲気を楽しんでいます。

大覚寺

大沢の池

 ここから又清涼寺にもどり小倉山の麓を回りましょう。清涼寺を西に入ると、常寂光寺や二尊院があります。釈迦如来と阿弥陀如来の二尊を祀るため二尊院と呼ばれました。嵯峨天皇の勅願により慈覚大師が開山になりました。本堂の右手に上につながる石段が見えています。この石段を上がると、京都堀川で古義堂を開いた伊藤仁斎・東崖のお墓があります。ともに苔が生えて見事なお墓です。さらに上段には、角倉了以・素庵や一族のお墓があります。保津川の開削により丹波の物産が京都に運ばれ、大都市の食糧が確保された訳です。さらに高瀬川を開削し、大阪からの搬送を容易にして京都のインフラを整備しました。


常寂光寺

角倉了以・素庵の墓

 このお寺の前から落柿舎が見えます。芭蕉の門人・向井去来の庵でした。「柿主や梢は近き嵐山」の句が彫られています。落柿舎と言う名前は、一晩で柿が落ち尽くしたことから名づけられたそうです。芭蕉もここに逗留して『嵯峨日記』を書きました。


落柿舎

入り口

 さらに北に行くと祇王寺があります。平清盛に愛された白拍子の祇王・祇女と仏御前が世を棄てて尼になり、余生を送った庵だそうです。祇王寺はとても狭いのですが、庵の前の庭は緑の苔に覆われ、夕日を受けてとても美しく見えました。庵の傍にある、三人のお墓と清盛の塚は小さくて、はかない人たちの姿をとどめているように思えました。


祇王寺

祇王・清盛の塚

 祇王寺を出てさらに北に向うと化野念仏寺に着きます。お盆の季節、行き倒れの人々を祀った無数の地蔵さんがあり、夜にともされるローソクの灯りが不思議な光景をかもし出すお寺として知られています。


化野念仏寺の付近

化野念仏寺