インタビュー | :坂倉楓さん(元京滋・奈良地域センター事務局/Sと略) |
聞き手 | :名和又介先生(京都事業連合理事長、京滋・奈良地域センター会長/Nと略) |
■専業主婦からの出発 N 坂倉さん、お久しぶりです。共済のことについてお話を伺うのを楽しみにしていました。まずは自己紹介してください。 S 私は専業主婦から京滋北陸共済センターに就職しました、1988年11月のことです。全国連合会の、共済だけをする支所で上司と私の二人だけの小さな事務所でした。その後、京滋北陸共済センターと京滋ブロックと関西地連とが合併しました。みなさん、共済の電話がかかってくるのを怖がって出てくださらなくて、お食事やお手洗いにいっても「楓さん、電話よ~」と呼ばれる毎日でした。始めは3,4時間の電話番だけの仕事というお話で、生協のことも共済のこともまったく未知でした。事務局長さんや学生さんといっしょに働く環境にもびっくりしました。当時の学生委員長だった斎藤学さんは、今京都府立大学の助教授になられて、いまだに家族ぐるみでお付き合いをさせてもらっています。次の学生委員長は、現在松山大生協の神田専務でした。... |