インタビューこの人に聞く

「大学生協人生を振り返って」平信行さん(大学生協京都事業連合前常務理事)

お話し 平 信行氏
聞き手 名和又介先生(京都事業連合理事長、京滋・奈良ブロック会長)
平さんは、京大専務時代からの知り合いである。余計なことは言わないで、業務をキチンとこなす実務派であり、彼の机の整然としたさまは語り草でもある。しかし、平和問題や留学生問題になると穏やかな顔になり、話は尽きない。今回のインタビューで再確認したが、平さんは「世のため、人のため」「万人は一人のため、一人は万人のため」を最後まで貫き通した協同組合人であり、その原理原則を大切にする人であった。このような人がいるからこそ、大学生協は楽しいのである。

■生い立ち 学生の頃

名和 今日は平信行さんに登場いただきお話しをお伺いしたいと思います。それでは生い立 ちから。平さんはもともと寡黙なひとなので今日は珍しいお話しが聞けるかと楽しみにし ています。

 出身は広島県、現在は合併して北広島町という町になっていますが、合併以前は千代田町といって、島根県境に近い中国山地の山間の町です。家はコメ作りを中心とする農家でした。誕生日は戦後間もない1951年です。高校まで地元で過ごしてきましたが、大学進学にあたっては、「都会への憧れ」もあって同志社大学を選びました。親は賛成でなかったように記憶していますが、自分としては喜び勇んで法学部政治学科に進学しました。

名和 広島と言えば赤レンガの農家のイメージがありますが。新幹線に乗って岡山から広島に入ると、それまでのグレーや黒い瓦から赤い瓦に変わるような。

 石州(せきしゅう)瓦といいます。私の故郷でもみんな赤い瓦でした。私の生まれ育った田舎は広島県ではありますが、実は分水嶺は日本海側になり江川(ごうのがわ)に流れ込みます。浜田と広島を結ぶ広浜(こうひん)街道というのがあるのですが、その中間的な位置となり、食料も魚介類は日本海側の物が多かったと思います。

名和 中国地方では正月に食べる魚は鰐(わに)であって、つまりサメを食べる食習慣がありますね「因幡の白兎」にも出てきておもしろいとおもうのですが、平さんの故郷でもそういう習慣はありましたか。......


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