お話し 立命館生活協同組合 理事長 山本 忠先生 聞き手 名和又介先生(京都事業連合理事長、京滋・奈良ブロック会長) |
今回は、立命館大学生協の理事長・山本先生と専務の酒井さんにインタビューをお願いした。立命館大学衣笠キャンパスの末川会館を使わせていただいた。山本理事長は言葉を選びながら丁寧に質問に答えてくれました。先生のお話を聞いて、大学生協の理事長に相応しい方であると感心した次第です。難病に苦しんだ体験と社会の役に立ちたいという思い、さらにご専門を生かした助け合いの社会など多くの組合員に読んでもらいたいことばかりである。 お忙しいなか、時間を割いてインタビューに応じていただいた山本理事長と酒井専務に感謝したい。 |
(山本理事長はY、酒井専務理事はS、名和はNと略) |
N それではまず先生のご出身をお聞かせ下さい。 難病に苦しんだ子供時代 Y 富山県の新潟寄りの魚津市出身です。実家はJR魚津駅から5分くらいのところですが、兼業農家です。そこで祖父母、父母と暮らしていました。兄がいましたが、生後半年のときに事故で亡くなりましたので、次男と言えども実質は長男です。小学校から高校まで魚津で育ちました。 保育園の頃小児ネフローゼという難病にかかり、半年ほど入院し退院するということを3回繰り返しました。小学1年の時も半年間入院を余儀なくされ、進級させるべきか、職員会議で議論されたそうです。病気のために水泳など激しい運動を制限されていたので、体育は見学が多かったです。ネフローゼというのは、腎臓病なので、全身に浮腫(むくみ)が出て、顔もいわゆるムーンフェイスで青白く真ん丸でした。食事制限も厳しく、ほとんど塩気のない病院給食の味をいまだに覚えています。投薬されたステロイドの副作用で成長が促進され、身長は小学校5,6年のころで170センチほどになりました。 その後も伸び続けるかと思っていましたが、中学では4,5センチしか伸びませんでした。 N 当時の子どもとしてはかなり大きいですね。そのように病弱なお子さんなのでご両親から大切に育てられたということでしょうか。 Y そのような状態でしたので農家の子供であるにもかかわらず、農作業の手伝いは、あまりできませんでした。蚊にさされるだけで腕が2倍に腫れあがるわけですから。医者からは『今度再発したら一生助からない』と言われていましたので、子供心に『自分の病気は特別なものだ』と思っていました。 したがって家で過ごすことが多く、...... |