インタビューこの人に聞く

「ハラ―ル食と国際化」中島 達弥さん(京都大学生協 食堂統括店長)

お話し 中島 達弥さん(京都大学生活協同組合 食堂統括店長)
聞き手 名和又介先生(京都事業連合理事長、京滋・奈良ブロック会長)
 今回のインタビューは、京大生協の統括店長中島さんにお願いしました。もう以前から何回もお願いしていたのがやっと実現した次第です。京大生協のハラ―ル食についてお聞きしましたが、話は広がり国際化の問題も見えてきたと思います。大学生協の食にかんしても積極的に取り組んでおいでです。インタビューの時間は短かったのですが、大学生協の可能性にふれることもできました。中島さんお忙しいなか、ありがとうございました。

名和 本日はご多忙のところありがとうございます。さっそくですが、京都大学生協が「ハラール食」をはじめたきっかけはどういったものだったのですか。あの「9.11」事件以降イスラム教徒に対する偏狭なバッシングが激しくなっている時期に、北海道大学で増加しつつあったイスラム圏の留学生を慰めるためにハラール食でのパーティが開かれたという話を思い出しました。
『食べられるものがない! 』と

中島 私が就職する以前の1997年頃にインドネシアの留学生グループから、『安心して食べられるものがない。困っているので生協で対応してほしい』という「ひとこと」が入ったことが出発点と聞いています。当時、平専務理事が中心となって、インドネシアの留学生の方と相談し、メニューを考え、ハラールのシールまで作って、実施直前までいったところでストップしたと聞きました。そのインドネシア留学生グループはOKを出してくれましたが、他のイスラム関係者が『ハラールであるかないかの基準が明確でない。
 一部の留学生がOKした基準で、生協が「ハラールである」としてメニューを提供するのはいかがなものか』という意見が出て頓挫したと聞きました。2006年に私がこの問題にかかわるようになったとき、平さんが昔作ったけど日の目を見ることがなかったハラールシールの束を今でも大切そうに持っておられました。残念だったんでしょうね。
 当時京大生協はカンフォーラのようなレストランはなく、基本食堂だけでした。
 その食堂で豚肉、アルコールを厳密に区別して調理する条件がなかったので交錯汚染の危険性がありました。同じムスリム(イスラム教徒)といっても戒律や信仰の度合によって期待される対応のレベルが違ったわけです。
 2006年にあらためてハラールについての「ひとこと」が入りました。私が店長をしていたカンフォーラはフルサービスレストランで、注文を受けてから調理するため対応できるのでは、と店長会議で議論をしました。
 しかし、やはり実行するうえで障壁になったのは97年の時と同じで、「ハラールの客観性をどう担保するか」ということでした。
詳しいことはなにもわからないなかで、留学生センターを訪ねたり、京大でイスラーム研究をされている小杉泰先生に教えを請いにいきました。......


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