お話し 大鉢忠さん(同志社生活協同組合 前理事長) 聞き手 名和又介先生(京都事業連合理事長、京滋・奈良ブロック会長) |
大鉢先生は、同志社協の理事長を8年間勤められた。その活動は効果をあげて、さまざな機会に報告されている。今回、生協店舗のある新しく生まれた良心館1階の学生ラウンジと地下のサンクンモールで大鉢先生に再建のお話や大学生協研究会のお話を聞くことができた。先生のお人柄が出たいいお話しであったように思う。再建活動の中心は全員の協力体制であろうと思われる。大学生協のパートさんとの関係、組合員への広報など興味深い内容であった。協同組合の原点を踏まえた活動と言えるかもしれない。お忙しい中をインタビューに応じていただき感謝するのみである。 |
名和 本日、大鉢先生には同志社生協の再建に関わられたお話をいただきたいと思います。まず大鉢先生が生協理事長をお引き受けになられた頃のお話からお願いします。 大鉢 今年5月の総代会まで8年間同志社生協の理事長をさせていただきましたけれど、まず、理事長就任の前年に、工学部(当時)から生協理事をということで、その時の大竹専務を通じて名和理事長から理事就任の要請があり理事となりました。 私は1960年の学生時代からずっと生協組合員でしたが、お店を利用するだけで運営には一切関わらないできました。一般に工学部の人間は『まじめ』と言われていますが、今出川校地での月一回の生協理事会に京田辺からまじめに参加してきました。1年目のその年に生協の事情がわからないなかで理事長代理が決まり三宅専務理事、毛利常務理事の体制に代わりました。 当時同志社にこられたばかりの三宅専務理事、毛利常務理事のお二人が京田辺の研究室にお越しになり理事長就任を要請されたのでびっくりしました。そのあと私が名和先生に、その要請をどうしたものかとご相談しましたら「やって下さい」と励まされました。決断をした後で妻に相談しました。従来から日頃の工学部の仕事だけでも多忙な生活をおくっていて、学会の発表前などは家庭内でも「まだ原稿が出来ない・・・」と独り言を妻に聞かれておりましたので、そうした「苦言」は家に持ち込まないという約束のもと、妻からも「OK」が出て就任を承諾させてもらったことを思い出しました。 名和 先生が理事長に就任されて以降、大学生協史研究会でいろんなことを学びましたが、そのなかで同志社生協理事長として工学部出身の先生が多数貢献されたという印象がありました。...... |